7月7日は茅ぶきの家『楽柿舎』を再生する事が出来た恩人・中西さんのご命日です。
現在、茅ぶきの家に至る道の右手には合歓の花が咲き、左手の素心臘梅はみずみずしい若葉。茅ぶきの正面には大山蓮華と次郎柿の木が大きく育っています。
“100年経った茅ぶきの家を壊さずに、何とか遺せないものだろうか・・・"
息子と思案にくれている所に、突然中西さんが現れました。「この下方の家を治していましたが、今日で終わりますのでご挨拶に来ました。家を見せて下さい。」との事で、しばらく三人でお茶を飲みながら話しました。
息子が「茅ぶきの家を何とかしたいと思うのですが。」と切り出した途端、「わしがやりましょうか。」と。
お父様は大阪の著名な建物を建てられた宮大工さんで、ご兄弟全員が大工さん一家でいらっしゃるという中西さんの申し出、それもボランティアでやりますとの事でした。
明くる日から工房通いが始まり、母屋や離れも含めた修理をして下さいました。
茅ぶきの家が完成するには、多くの方たちのお力をいただきました。最後に全くお金がなく(思いの外、茅ぶき職人さんへの日当がかかり)、左官屋さんの日高さんに「一番安い材料でお願いします。」と伝えました。
日高さんは宮崎出身で、奥様も私と同郷の方でした。結局、材料は安いものを使えないので、材料費だけ払ってくれたら日当は要らないとのお話でした。日高さんの知り合いの畳屋さんが最後の仕事でしたが、「琉球畳を入れます。」と仰り、その代金は左官屋さんが払うそうですと聞いた時はただただ驚きました。
すぐに奥様に電話をし、「困ります」と伝えましたが、「主人は同じ同郷の人が頑張っているのだから、自分たちも応援しようと言いました。私もそう思うので。」とのお話でした。
『世の中、すてたもんじゃない』事をたくさん見せていただいています。先日も、東京から二週間ぶりに戻り、ウバメガシの垣根や石垣がきれいに剪定されていて驚いたのですが、日高さんが一日ボランティアをして下さったとの事。
次郎柿は日高さんご夫妻が植えて下さった木です。いつの日か、籠いっぱいの柿をお届けしたいと思っています。
中西さんの息子さん(名古屋在)に山の幸便をお送りすると、お孫さんが「天国のおじいちゃんからの贈り物だね!」と喜んで下さるそうです。
中西さん、ずっとずっと茅ぶきの家は、皆さんの為に生かしていきますね。
今月の“茅の家の集い"には、尺八奏者・辻本公平さんが来て地唄など披露して下さいます。